しんこ細(xì)工の人形
しんこ細(xì)工の人形は精製小麥粉、もち米粉などを材料とし、防腐剤も加え、それに水を混ぜて団子の形にねり上げ、なべに入れて蒸してから、必要にもとづいてそれぞれ異なった顔料を入れてさらにねりあげると、さまざまなイメージのしんこ細(xì)工の人形を作ることができる。しんこ細(xì)工の人形づくりには長(zhǎng)い歴史があり、漢(前206-220)?唐(618-907)時(shí)代以來(lái)、ずっと民間の手蕓品として伝えられてきた。その多くは仏教?道教の物語(yǔ)、伝統(tǒng)演劇及び歴史上の人物をモデルとしたもの。指先によって作り上げる技法は簡(jiǎn)潔で、作り上げられた人形は大きなものは手のひらぐらいの大きさで、小さなものは果実の核ぐらいの大きさであるとはいえ、顔には目、耳、鼻、口などがあり、イメージが鮮明で生き生きとしており、小さな民俗彫塑蕓術(shù)品の一つである。
七寶焼
七寶焼は琺瑯びきとも言い、元朝(1206-1279)の都で生まれた蕓術(shù)品で、明朝(1368-1644)の景泰の頃(1450-1456)に盛んに作られるようになった。うわぐすりの色が主に藍(lán)色(ピーコック青とサファイア?ブルー)を主とするため、景泰藍(lán)(七寶焼)と稱されてきた。
元代の末期に現(xiàn)れて以來(lái)、宮廷への貢ぎ物として重寶がられた。七寶焼のうつわは素樸かつ奧ゆかしく、色が濃くてきらびやかで、明?清(1616-1911)時(shí)代の琺瑯製品はいっそう豊富多彩で、皇帝と皇后?妃らの日常生活の中で欠くことのできない用品とされ、特に清の乾隆の頃(1736-1796)にはさらに流行品となり、利用と観賞のために宮殿で使われていた。
七寶焼の製造技術(shù)はかなり複雑で、純粋な手工蕓品である。使う原材料には主に紫銅、琺瑯原料、純金などがある。
嗅ぎタバコ入れ
嗅ぎタバコ入れはこじんまりとした工蕓品であり、玉石、琺瑯、水晶、メノウ、陶磁品などを原料とし、絵畫(huà)、書(shū)道蕓術(shù)も取り入れて作り上げた工蕓品の中の珍しいものである。それは上品な人たちに貴重な愛(ài)玩物と見(jiàn)なされ、內(nèi)外の人たちに知られている。
今までも愛(ài)玩物とされている嗅ぎタバコ入れは清の康煕の頃(1662-1723)のものを一番早期のものとしている。清の雍正(1723-1736)?乾隆の頃にそのピーク期を迎えた。當(dāng)時(shí)、嗅ぎタバコを嗅ぎ、高級(jí)品の嗅ぎタバコ入れを持っていることは身分を示し、富を誇示するしるしとなった。清代の末期にはさらに內(nèi)側(cè)に絵が描かれた精緻な嗅ぎタバコ入れが現(xiàn)れ、製作工程と技法もいろいろと変化し、さまざまな逸品がたくさん現(xiàn)れた。その後、葉タバコ、水煙、巻きタバコが次第に嗅ぎタバコに取って代わるようになったため、とうとう淘汰されてしまった。しかしながら、嗅ぎタバコを入れる器として作られた嗅ぎタバコ入れは精緻な手蕓品として人々に好まれ、研究され、収蔵されてきた。
「チャイナネット」2004年12月
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