冬は「泉城」といわれる済南市の最も美しい、最も趣のある季節(jié)である。著名な作家の老舎はかつて、「神様は夏の蕓術(shù)をスイスに、春の蕓術(shù)を西湖に、秋と冬の蕓術(shù)をすべて済南に賜った」とたたえ、それをゆえに「済南の秋」と「済南の冬」という二つの著名な作品を後世に殘している。
泰山の北側(cè)から南は黃河の南岸まで、東は章丘まで、西は平陰までの狹くて長い區(qū)域において、700余カ所の泉が奇異な泉の世界を形作っている。この泉の群れは何千年という歴史の蓄積を経て済南の人々の體に融け込み、人々はそのようにして暮らし、同時(shí)に、それに數(shù)々の思い入れを話し、人々の胸を打つ伝説を殘すことになった。このため、それは感情のこもった文化伝承の受け皿となり、ユニークで內(nèi)容の豊かな泉の文化を形成するに至った。
冬は泉を観賞する最良の季節(jié)である。この季節(jié)にこそ「もうもうとした蒸気が立ち込め、さざ波の音が大明湖のほとりで耳にすることになった」というユニークな美しい景色を楽しむことができる。済南の泉は恒溫狀態(tài)のものであり、冬の氷や雪の世界になっても泉の水はやはり18℃の恒溫を保っている。この時(shí)になると、泉の水面には雲(yún)や霧のような蒸気が立ち込み、それが拡散して周辺の殿堂や回廊や樓閣を包み込むようになり、夢(mèng)まぼろしのごとく奇異なシーンが現(xiàn)れ、仙人の住む世界に入ったような感じを人びとに與える。
済南で泉を楽しむには、早足で趵突泉を見て回るようなことはしないで、最適のコースは徒歩で古城めぐりの観光をすることである。起點(diǎn)は地下水位が最低の五竜潭という泉の群れであり、ここは泉の水面が広く、亭、臺(tái)、回廊、樓閣の配置が巧妙な形になっているばかりでなく、言い伝えも多い。そのほか、唐(618-907)の開國の元?jiǎng)?、山東の豪傑といわれた秦瓊の邸宅の舊跡もある。それから最も代表的な趵突泉公園を見物することであり、ここには天下一の泉といわれる趵突泉があるばかりでなく、千年もの歴史のある奇異な金線泉、綿のように飛び散る柳絮(りゅうじょ)のような柳絮泉、千年もの歴史のある馬跑泉があり、そしてこの公園の造園技術(shù)が優(yōu)れたもので、中國の古典庭園の手本と言え、公園全體が完全無欠な蕓術(shù)品である。続いて、しだれ柳を並木とする堀に沿って、「泉城の大きな応接間」といわれる泉城広場(chǎng)や世紀(jì)文化回廊を通り抜けて虎や竜が吼えているような黒虎泉の泉の群れにたどり著き、雄大で壯麗な解放閣の前で記念寫真を撮ってから、堀に囲まれた公園の構(gòu)內(nèi)をさらに前へと進(jìn)み、泉城路通りの金街の東入口から西へ進(jìn)み、巡撫(明?清時(shí)代での一省の民政?軍政をつかさどる長官)の役所の舊跡內(nèi)にある真珠泉の泉の群れと湖の水面が広々とした濯纓湖を観賞することにする。そのあと、さらに北へ進(jìn)み、古城の姿がよく保存されている芙蓉街通り、王府十字街通りをそぞろ歩きして歴史の移り変わりを見て回り、「どの家にも泉があり、どの家にもしだれ柳がある」光景を體験することができ、ここには人手による影響や裝飾を経てはいない、ありのままの姿を保っている泉によってできた池がたくさんある。最後に、歴史上、文人や高貴な人たちに愛された流水亭街に沿って歴史上有名であった百花洲を遊覧してから、「泉城の光り輝く真珠」、「合流した百泉」といわれる大明湖にたどり著き、ここでは「冬の氷の世界」の美しさを楽しむことができる。こうしてそぞろ歩きをしながら目の前に現(xiàn)れたすべてを観賞して、はじめて古都済南の情趣を満喫し、なぜ千年もの昔からこれほど大勢(shì)の文人や身分のある人々を引き付け、済南に來て詩を書いたり、それに和したりし、帰ることさえ忘れさせたのかを知ることになろう。
「チャイナネット」2005年1月25日