社會學研究上副所長の李培林教授の著書『改めて勃興する日本?』が出版され、大きな反響を引起している。本書は異國文化の視點から日本社會を解読した力作で、中國の社會學者の日本社會に対する深い理解と洞察が示されている。作者の比類なき観察眼、鋭い筆鋒、ユーモアに溢れた文章と中日間の離れにくい絆を持つ文化社會に対する読み解きは必読に値する。
本書中の「中國は日本に何を言おうとしているのか?」の話題10編の翻訳編集は以下の通りである。
2003年度における中日雙方の貿(mào)易統(tǒng)計が示している通り、中日貿(mào)易総額は1300億米?を突破し、1972年の國交回復(fù)以降の最高を記録した。しかし、中日國民間の心理的不信感、相互蔑視は過去30數(shù)年來の最高レベルに達しているように見える。日本人にはよく分からないだろうし、多くの中國人も了解不能だろうが、中日両國はまるで新たな敵対狀態(tài)に入ってしまったかのごとくである。
そこで、私が一中國人として、中國人の立場に立ち、中國人の視點から、日本人に一體何を言いたいのか?を捉えた10項を以下にあげる。
1 「迷惑をかけた」は歴史問題だけからきたわけではない。
日本人はどのような問題でも「迷惑をかけた」と言いたがるが、中國人は歴史問題に対するこのような軽い言い方は受け入れ難いし、さらに受け入れ難いのは二次大戦中の日本の隣國侵略を日本の西方列強に対する孤立した抗爭であったとする見解である。歴史過程において、日本の中國に対する侵略は、國際的民主、人権、自由のスタンダードに照らして、「罪」であって「錯誤」ではないことは公認されている。中國人は、現(xiàn)在の日本人が現(xiàn)在或いは父祖に代わって贖罪せよとは思っていないが、現(xiàn)在の日本の青年が彼らの父祖がアジアを救済し、歐米列強に対して孤軍奮闘対抗したという「戦爭の記憶」を遺留していてほしくはない。中國人はあの時代の歴史に対する共通認識を確保して、中日の子孫後裔の共同財産とし、將來の友好の基礎(chǔ)としたいと願っているのである。もしこの良し悪しの問題をハッキリさせられないならば、「迷惑をかけた」問題は歴史問題に止まらず、現(xiàn)実の國民間の相互不信につながり、様々な摩擦案件を通してロジカルな連鎖として浮き上がり、深い心理的亀裂となってしまうであろう。
?。病≈袊藢潳工肫颏筏空J識を正す
中國は日本と大きく異なり、多くの民族が生活し、多くの地方語があり、南北地域の
観念の差異も少なく無く、都市と農(nóng)村の発展もアンバランスである。中國を理解していない日本人は、自國の狀況から発想して中國は均一であると見なし、また中國の過去から発想して今でも中國人は過去同様であると誤認している。彼らは中國の上海、北京、広州を見て、日中間は経済上で相互補完ではなく相互競爭だと認識し、中國の西部郷鎮(zhèn)を見て、中國はやはり貧困、蒙昧であると感じ、中國の大きな貧富の差を見て、中國は資本主義よりさらに資本主義的だと思い、中國に殘留している「悪平等」體制を見て、中國政府は怠け者を養(yǎng)っていると感じるのである。これと同じように、ネット上で飛び交う情報を見て、中國人は全て排日主義者と思い込み、數(shù)編の「対日新思考」の文章を読んで、中國に新たな戦略的変化があったと認識してしまうのである。
?。场≈腥战U済の相互補完、互恵互利は両國友好の基礎(chǔ)
長期的に見れば、中日両國の経済的な相互補完、互恵互利によってはじめて両國友好の本當の利益の基礎(chǔ)が築かれるのである。日本は資本、技術(shù)、管理などの優(yōu)位性を保持し、中國は無限に供給可能な労働力と膨大で急速に発展する市場を擁しており、この局面は相當長期にわたって継続する一段階で、大きく変化することはないであろう。日本のビジネス界が中國の消費潛在力を低く評価することは不適であり、中國が速やかに世界最大の家電、ネット商品の消費市場となることは疑いがない。近年、日本が中國で販売した一部ブランド商品(例えば自動車)と歐米で販売した同ブランド商品の品質(zhì)、裝備が異なり、結(jié)果として一部商品に品質(zhì)問題が発生したが、これは「日本國産」への信頼感に取り返しのつかない大きなダメージを與えた。
當時、日本は高度成長時代であったが、技術(shù)導(dǎo)入、模倣の時代から自主創(chuàng)造の時代への転換過程でもあった。中國もこうした過程を経ると考えられる。しかし、異なる點は技術(shù)伝播速度が過去に比して飛躍的に速くなっている點で、新技術(shù)が迅速に収益を上げなければ「収益蒸発」問題が発生してしまうので、高度に技術(shù)を重視している日本のビジネス界にあっても、競爭力上での利益との間に弊害を惹起しているため、改めて再評価せざるを得なくなっている。
4 アメリカ追隨一辺倒は不要である
日本は経済が継続的に低迷しているため、企業(yè)システムやその他の面の改革を通して弊害を除いて刷新し、速やかにアメリカ體制に接近することを望む世論がある。しかし制度を分析してみれば、どのような制度もそれに適合した外部環(huán)境があり、「最高唯一」の制度などは存在し得ない。中國の郷鎮(zhèn)企業(yè)の過去における地方合作主義體制は、かつて郷鎮(zhèn)企業(yè)の発展に大きな役割を果たしたが、現(xiàn)在はその矛盾問題を露呈している。しかしながら、これは過去が全て錯誤であることを意味しているわけではない。外の世界から見れば、日本の経済問題の根本は極端な生産コストの高さにあり、技術(shù)、管理、品質(zhì)の問題ではない。これを解決する方法は「両頭を握り、中間を外に置く」しかなく、技術(shù)設(shè)計、販売ネットを握り、海外で生産するべきであり、いわゆる「産業(yè)の空洞化」については新たな認識による議論が必要で、これは資源の有効な配置が要求する必然的な趨勢なのである。日本はアメリカ式バリューを一切の基準にする必要は無く、むしろ獨自の道を歩むべきで、これは日本の過去の経験でもあり、今後もそうあるべきなのである。中日間の関係も、現(xiàn)在の日米関係と中米関係の付屬品的狀態(tài)から脫するべきである。
?。怠 该搧勅霘W」から「アジア太平洋への復(fù)帰」への転換
中國人から見れば、日本民族は「傑出した実務(wù)者」で、強者に學び時機にあわせて調(diào)整転換することに長けている、と公認されている。日本は、近代以降「脫亜入歐」戦略の選択という最大の転換を成し遂げ、その後100余年間の発展の軌跡を決定付けた。しかし現(xiàn)在、時代はまさに非常に大きな変化を迎え、世界経済システムの重心はアジア太平洋に移行しつつあり、當時の成長の重心がヨーロッパから北米に移行していた時代に類似しており、現(xiàn)在は技術(shù)と情報の伝播がより速くなっているので、その移行過程のスピードもより速くなる可能性が高い。中國、インド、ベトナムの経済成長の強靭さと日本、韓國、シンガポール経済の速やかな回復(fù)がその例証である。したがって、日本は真摯に戦略調(diào)整を行い、「アジア太平洋への復(fù)帰」するか否かを分析、思考するべき時期に來ているのである。
?。丁≈贫溶灀Qが必要な日本
日本は先進資本主義國家群の中で、アジア「社會協(xié)調(diào)組合資本主義」に屬する類型であるといってよく、このような経済基礎(chǔ)に適合しているその「現(xiàn)代民主制度」にも特徴があり、社會內(nèi)部の各種の「人脈」につながる利益派閥の影響が大きい。初期段階の普通選挙制度化でも、一黨が長期政権を握り、この段階が終了すると指導(dǎo)力が弱い複數(shù)のリーダーによる群雄割拠の時期に入り、リーダー達は既得利益団體に対する改革、調(diào)整が至難の業(yè)になってしまっている。アジアの一部國家、地區(qū)の議員達は、民衆(zhòng)の目が光っているテレビ放送のカメラの前で大立ち回りを演じているが、これは何らかの問題の存在を証明するものである。中國も時代とともに進むにしたがって政治體制改革が自然に必要となるであろうが、日本の政治も改善が必要であり、「現(xiàn)代民主」に対する認識を深め、民意をあまねく代表し、改革を指導(dǎo)するリーダーは鋭意改革の方向を牽引していくべきである。
7 「アジアのリーダー」爭いは中日摩擦の原因ではない
アジアではかなりの長期間、経済的発展の構(gòu)造は「雁行構(gòu)造」であり、日本をリーダーとして「四小竜」と稱された韓國、シンガポール、香港、臺灣が追隨し、その背景には冷戦があった。冷戦終結(jié)後、アセアン(ASEAN)諸國と中國大陸の急速な経済発展により、その構(gòu)造が打破されて新たに「馬群構(gòu)造」が形成され、馬の疾走過程でその順序が常に変化するようになった。このような狀況下では、日本と中國にとって「ヨーロッパ連合」(EU)に類似した「アジア連合」地域経済合作組織が非常に重要になってくる。中國自身は発展のために解決を迫られている多くの問題を抱えており、少なくとも50年間は國內(nèi)生活改善に集中しなければならず、無益な「國際的影響力」や自衛(wèi)を超えた「抑止力」を追及することなどとてもできはしない。日本経済の実力がアジアで右に出るものはいないとしても、時代が変化している狀況下では、鶏群の一鶴と言う立場を逐次変えていく必要があるのではないだろうか。
つまり、いわゆる「アジアのリーダー」爭いは、決して中日利益摩擦の鍵ではないのである。
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古い文明の伝統(tǒng)を持つヨーロッパには、幾つかの伝統(tǒng)的「平和中立」國家(例えばスイス、スウェーデン)があり、これらの國は社會資本主義民主國家の模範といってよく、その生活福祉レベル、社會秩序、國民の資質(zhì)、道徳的修養(yǎng)などは市場経済國家の手本だといえる。しかし、シンガポールがこのような國になる可能性はあるにしても、アジアにはこのような國はまだなく、多くの人々が日本がこのような國になることを望んでいる。日本人は過去における戦爭の特殊な記憶を遺留しているが、戦後の「永久に戦爭を放棄する」と言う憲法の精神を基礎(chǔ)とした経済的実力は、非軍事的手段によって國際的地位と影響力を確保することができることを?qū)g証しているといえる。中國人も自分自身の財力を國民の生活改善にさらに集中したいのである。人類が発明した軍備競爭下での抑止力バランスゲームは、すさまじい量の資源を浪費している。私は決して理想的平和主義者ではないが、復(fù)讐のために一般市民の生命の犠牲を惜しまないテロリストに対して深い怒りを感じている。私はさらなる幸福な生活を渇望する新たな世代が、さらなる高みに立った政治的インテルジェンスによって政治、経済、民族、宗教など各方面の爭いを解決し得ると信じている?!?
?。埂∪毡兢饷褡逯髁x稱揚をすることはできない
日本は集団の力を非常に重視する民族であり、この種の一致協(xié)力して努力する民族精神が、現(xiàn)在日本が獲得している強大な経済力に重要な役割を果たしてきた。しかし、日本國民の心理狀態(tài)には、一種の特殊狀況下における民族主義的気分も潛在しており、この気分が経済発展が政治的影響力にマッチしない狀況下、社會的転換點が出現(xiàn)する危機的狀況下で、急速に蔓延しつつある。寫真で見る毎年の「8?15」靖國神社參拝には、過去によく見られた舊日本軍の帯刀軍裝隊列による表敬風景がみうけられる。私はこれを見ると、現(xiàn)在ドイツの街路でナチの軍服を著て、ナチの軍禮を行っている集団を想起し、ドイツ國民がこれをどう受け止めているか?を考える。私はこれらの舊軍人或いはその遺族団體には民衆(zhòng)的基礎(chǔ)が無いが、最終的には一種の心理的象徴として一般庶民は「理解し難い」のではなく「理解できる」という反応を示している、と判斷している。したがって、過激な民族主義的気分が「社會的要求」となった場合、この種の気分は簡単に別の方向へ走る危険な一面を持っている。
10 國際スタンダードにより符合した開放社會の建設(shè)
総じていえば、日本社會はアジア各國の中では比較的開放された國家である。私は具體的統(tǒng)計データを入手してはいないが、散見するデータと観察によれば、日本の各分野で働く外國人(外國籍と外國人を含む)の比率は、アジア各國の中では相対的に高い。しかし、日本の各政府部門で働く外國人はあくまでも外人であって、「寛容」の基準で待遇されているが、権力行使構(gòu)造の範囲に入ることが不可能である。日本の公共施設(shè)の表示は全て日本語であり、英語圏の旅行者には極めて不便である。日本の一般市民を先進國家基準で判斷すれば、外國人とのコミュニケーション能力はやや低く、外國旅行に行くのも団體旅行が多い。したがって、日本人の個人的思考は、簡単に集団意識の影響を受けることになる。日本人は中國人と同様、白人との婚姻を受け入れられるし、甚だしきに至っては光栄と見なす意識があるが、有色人種との婚姻に対しては非難する場合が多い。日本が世界に向かうには、経済発展レベルに適合する民間の、一般庶民の、個人的な対外交流、意思の疎通、理解が必要であり、さらに國際社會スタンダードに符合する開放社會を建設(shè)していくべきなのである。
「チャイナネット」2005/4/28