日本での提訴から8年の歳月が経ち、40回近い審理が開かれている。
1997年8月 中國(guó)浙江省と湖南省常德市の108人の原告が、謝罪と賠償を求め、日本政府を東京地裁に提訴
1998年2月 第1回裁判
1999年12月 さらに72人が原告団に加わる
2002年8月27日 東京地裁一審判決。第二次世界大戦中に日本軍が中國(guó)で細(xì)菌兵器を使用したことを初めて明確に認(rèn)定、原告の提出した被害の訴えも全面的に認(rèn)め、日本政府に國(guó)としての責(zé)任があると同意した。ただし原告による謝罪と賠償の請(qǐng)求は退けた。
2002年8月30日 東京高裁に控訴
2003年5月 東京高裁で、控訴審第1回
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年7月20日