今年の8月15日は、多數(shù)の人が東京に注目し、多數(shù)の報(bào)道機(jī)関が靖國(guó)神社に焦點(diǎn)を合わせた。今月上旬、侵略を美化する日本の超黨派の國(guó)會(huì)議員グループ「みんなで靖國(guó)神社に參拝する國(guó)會(huì)議員の會(huì)」は、8月15日に20萬(wàn)人で靖國(guó)神社を參拝するよう呼びかける意見(jiàn)広告を、主要報(bào)道機(jī)関に掲載した。NHKが14日夜に放送した「靖國(guó)神社問(wèn)題を考える」というテーマの番組もまた、ふだんはこの問(wèn)題に関心を持たない人々の関心をひきつけた。戦後60回目の8月15日は、明らかにいつもとはかなり異なる様相を見(jiàn)せた。
靖國(guó)神社で繰り広げられる「パフォーマンス」は有名で、見(jiàn)る者にとっては新たな見(jiàn)聞だ。戦前の日本に戻ったかのようなパフォーマンスだと言う人もいる。戦前の日本の様子を知らない人や、軍國(guó)主義者の戦爭(zhēng)をめぐる歴史観を知らない人、ここ數(shù)年の日本でなぜ狹隘な民族主義が臺(tái)頭しているのかを知らない人も、靖國(guó)の空気を體験すれば、ある程度理解できるようになるだろう。
靖國(guó)神社は普通の神社とは異なり、戦死した軍人だけを祀る。戦前の靖國(guó)は國(guó)家神道の神社だったが、戦後、天皇の君主権は神から與えられたものだとする「神勅主権」が否定された後は、民間の宗教団體となった。しかし依然として、軍國(guó)主義の亡霊がさまよう象徴的な場(chǎng)所である。侵略?拡張の必要から、靖國(guó)神社はかつて數(shù)々の神話をでっち上げ、「靖國(guó)思想」を利用して兵士の武勇を動(dòng)員するため、「命がけで戦場(chǎng)で戦い、桜花のごとく散れば、『軍神』となって『魂は靖國(guó)に還り』、萬(wàn)世に渡り不滅の英霊となって人々の敬慕を受ける」と兵士らに信じ込ませた。
靖國(guó)に祀られた246萬(wàn)6500人の死者のうち、230萬(wàn)人が「太平洋戦爭(zhēng)」と中國(guó)侵略戦爭(zhēng)の死者だ。1978年10月、東條英機(jī)ら14人のA級(jí)戦犯の名前が、正式に靖國(guó)神社の追悼名簿に記され、「昭和殉難者」の名で祀られるようになった。侵略戦爭(zhēng)としての位置づけを覆そうと、日本の文化人や政治家はさまざまな理由を挙げ、靖國(guó)參拝を擁護(hù)した。最も典型的な論法は、正義と侵略の境界線を曖昧にし、侵略戦爭(zhēng)を「自存自衛(wèi)とアジア解放のための戦爭(zhēng)」とし、極東軍事裁判の判決を「勝者が敗者に下した判決」とし、さらに國(guó)家のために死んだ人に敬意を示すのは「ごく當(dāng)たり前のこと」と言い張るものだ。1985年に當(dāng)時(shí)の中曽根首相が公式參拝し、さらに小泉首相が4回參拝したことで、靖國(guó)を參拝し中國(guó)などアジアの國(guó)々の人々の感情を傷つけた日本指導(dǎo)者の行為が、日本とアジアのほかの國(guó)々が真に和解する妨げとなってきた。
靖國(guó)參拝をめぐる日本の論爭(zhēng)は、日本が起こした侵略戦爭(zhēng)と植民地支配をどのように取り扱うかという歴史認(rèn)識(shí)に直接かかわる問(wèn)題である。數(shù)千萬(wàn)人のアジアの人々と、310萬(wàn)人の日本人の生命を奪った戦爭(zhēng)を「自存自衛(wèi)の戦爭(zhēng)」と言うとは、あまりに荒唐無(wú)稽だ。研究者は、戦犯を合祀し顕彰することは、戦爭(zhēng)責(zé)任の否定であり、政府指導(dǎo)者による?yún)叅?、再び戦?zhēng)の慘禍を起こさないという決心の否定であり、平和と生存権を保障する憲法の否定であると述べる。
評(píng)論家の加藤周一氏は、まず日本が他國(guó)を侵略したことを明確にすべきだという。中國(guó)の兵隊(duì)は日本の領(lǐng)土に上陸していないのに、日本が中國(guó)に百萬(wàn)の大軍を送り込んだのであり、侵略である以上、責(zé)任を負(fù)うべきであり、まず侵略の事実を認(rèn)めて反省すべきだと。東京大學(xué)の高橋哲哉教授はその著書(shū)「靖國(guó)問(wèn)題」の中で、靖國(guó)の本質(zhì)を「靖國(guó)神社は戦死者を顕彰し、新たな戦爭(zhēng)に動(dòng)員することを可能にする裝置である」の一文で言い切り、戦死者を「英霊」にする祭祀は、戦死の悲しみを名譽(yù)の戦死に転換し、不幸を幸福に転換する「感情の錬金術(shù)」だとしている。また、多くの人が「國(guó)家政策によって愚弄されながら、はっきり自覚していない」と述べる。
8月15日、日本政府は武道館で、天皇や參院議長(zhǎng)の出席する全國(guó)戦沒(méi)者追悼式を挙行した。 また各政黨の指導(dǎo)者は、8月15日を記念する談話を発表した。日本共産黨の志位和夫委員長(zhǎng)は「侵略戦爭(zhēng)と植民地支配を正當(dāng)化する一切の行動(dòng)に反対する」と表明した。日本政府は閣議で決定した形式で戦後60年の小泉首相談話を発表した。この首相談話は、日本の植民地支配と侵略がアジア各國(guó)の人々に與えた莫大な損害と痛みという歴史的事実を謙虛に受け止め、あらためて痛切な反省とおわびを表明した。
世論は、この談話が日本が過(guò)去を直視し、歴史を正しく認(rèn)識(shí)し、中國(guó)や韓國(guó)などアジアの國(guó)々と共に未來(lái)に向けた協(xié)力関係を築くと表明したことに、特に注目した。同時(shí)に「実際にどう行動(dòng)するか」が重要だと指摘した。
韓國(guó)の金大中前大統(tǒng)領(lǐng)は、今年6月に日本で行われた討論會(huì)で、「私たちは、一般の戦死者を參拝することには反対しない。しかし、侵略戦爭(zhēng)を始め、無(wú)辜の國(guó)々や人民に多大な犠牲を強(qiáng)いたA級(jí)戦犯を參拝することに反対する。なぜなら、それは侵略戦爭(zhēng)を正當(dāng)化する行為だからだ」と、厳しい言葉を述べている。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年8月17日