1931年の「9?18事変」(柳條湖事件)、37年の「7?7事変」(盧溝橋事件)、そして1945年の8月15日(日本の無(wú)條件降伏)、9月3日(抗日戦爭(zhēng)勝利)。すべて中國(guó)の人民にとって永遠(yuǎn)に忘れられない日付だ。1931年から數(shù)えて、日本は中國(guó)を14年にわたって侵略した。37年から數(shù)えて、舊日本軍は中國(guó)で虐殺、放火、略?shī)Zを8年にわたって行った。第二次世界大戦の全世界の犠牲者は計(jì)5500萬(wàn)人だが、中國(guó)人の兵士と民衆(zhòng)だけで2000萬(wàn)人以上が犠牲となった。
これだけの數(shù)字、犠牲、歳月、國(guó)恥、そして抵抗の戦い――。われわれは忘れられようか?
1972年、中日両國(guó)が國(guó)交正?;?qū)g現(xiàn)した時(shí)、周恩來(lái)総理は田中角栄首相に対し「過(guò)去のことを忘れず、後世の教訓(xùn)とし、このような経験と教訓(xùn)を私たちはしっかりと記憶すべきだ」と語(yǔ)った。共同聲明の中で、日本側(cè)は戦爭(zhēng)において中國(guó)の人民に重大な損害を與えた責(zé)任を痛感し、深い反省の意を示した。中國(guó)側(cè)は中日両國(guó)の人民の友好という視點(diǎn)に立ち、日本に対する戦爭(zhēng)の賠償要求を放棄。こうして、両國(guó)の戦爭(zhēng)狀態(tài)に終止符を打った。
過(guò)去のことを忘れない、とは、まず忘れないことだ。忘れないのは、教訓(xùn)を汲み取るためだ。広大な土地と數(shù)億の人口を擁する広々とした大國(guó)が、なぜ他國(guó)に侵略されたのか?遅れを取ればすぐに打ちのめされ、分裂すれば必ず打ちのめされるのだ。
忘れないのは、パワーを汲み取るためだ。歴史をしっかりと記憶してはじめて、未來(lái)を作り出せる。8年の抵抗の戦いは、痛みと犠牲に満ちていたが、中國(guó)の人民にとっては巨大な精神的な財(cái)産となり、これにより人民が心を一つにし、屈せず苦労に耐えて奮闘し、勇気を持って前進(jìn)する「抗戦精神」が形成された。この精神を継承し発揚(yáng)すれば、団結(jié)を強(qiáng)め、確固たる自信を持つことができる。
忘れないのは、今日の國(guó)際関係を正しく処理するためでもある。胡錦濤國(guó)家主席は今年提案した「中日関係発展への5つの主張」の中でも、「歴史を鑑(かがみ)とし、未來(lái)に向かう姿勢(shì)をしっかり堅(jiān)持する」と強(qiáng)調(diào)し、日本側(cè)が侵略戦爭(zhēng)に対して示した反省を?qū)g際の行動(dòng)で示し、厳粛かつ慎重な態(tài)度で歴史問(wèn)題を扱うよう希望を伝えた。これは中日関係の「空模様」を左右し、13億の中國(guó)人民の感情に影響を與えるものだ。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」読者メッセージ
2005年8月25日