1979年 |
2月12日から28日にかけて、全國スポーツ會(huì)議が北京で開催され、240人の出席者が中國共産黨第十一回全國代表大會(huì)3中全會(huì)の主旨を?qū)W習(xí)し、スポーツ界はいかにして仕事の重點(diǎn)を転換させるかを検討し、スポーツ事業(yè)の発展を目指す企畫について討議し、1979年と1980年のスポーツ関係の仕事の具體的な段取りを決めた。この會(huì)議の席で、「スポーツ事業(yè)の急速な発展を推し進(jìn)めることに努め、世界スポーツのピークに登りつめることを目指す」という目標(biāo)、スポーツ事業(yè)を「調(diào)整しながら進(jìn)める」ことが提起された。それと同時(shí)に、スポーツの技術(shù)レベルの立ち遅れがすでに突出した弱い環(huán)となっていることにかんがみ、1980年モスクワ五輪に參加する任務(wù)が目の前に差し迫っており、いかが國の種目の成績がオリンピックのエントリーのレベルにも達(dá)していないため、1979年と1980年に、國家體育運(yùn)動(dòng)委員會(huì)と省クラスの體育運(yùn)動(dòng)委員會(huì)は普及と向上を結(jié)びつけることを前提に、向上に重點(diǎn)を置くことにした。席上、第8回アジア競技大會(huì)においてかなり重要な貢獻(xiàn)をした関連部門が表彰された。 3月5日、全國體育総會(huì)第四回全體會(huì)議第3回會(huì)議が北京で開催された。席上、鍾師統(tǒng)氏が全國體育総會(huì)主席に選挙され、副主席、秘書長、副秘書長および委員も新たに選挙され、陸上競技やバスケットボールなど29種目の協(xié)會(huì)のトップが指名され、それが批準(zhǔn)された。 3月14日、國家體育運(yùn)動(dòng)委員會(huì)は「教學(xué)の質(zhì)を引き上げることに努め、中國のスポーツ事業(yè)の「発展の面での體育學(xué)院の役割を十分に発揮させる」という文書を下達(dá)し、各體育學(xué)院が効果的措置をとり、教育の質(zhì)量を大幅に引き上げることに努め、條件を創(chuàng)り出して體育學(xué)院を逐次教學(xué)、トレーニング、スポーツ科學(xué)研究センターに築きあげるよう要求した。 3月29日、國家體育運(yùn)動(dòng)委員會(huì)と中國教育部は次々に「全國學(xué)生體育スポーツ競技制度」、「少年?児童アマチュアスポーツ學(xué)校の規(guī)則」、「高等學(xué)校のスポーツの仕事についての暫定規(guī)定(試行草案)」、「中等學(xué)校(高校を含む)、小學(xué)校の體育の仕事についての暫定規(guī)定(試行草案)」、「學(xué)校で『國家スポーツトレーニング基準(zhǔn)』をさらに幅広く実施することについての意見」を共同で下達(dá)した。 5月15日から22日にかけて、國家體育運(yùn)動(dòng)委員會(huì)、中國教育部、衛(wèi)生部、青年団中央は江蘇省揚(yáng)州市で「全國の學(xué)校スポーツ?衛(wèi)生事業(yè)の経験交流會(huì)」を共同で開催した。席上、出席者たちは學(xué)校でのスポーツと衛(wèi)生の仕事に存在する主な問題を克服する方法について討議し、先進(jìn)的集団、先進(jìn)的専従者たちを表彰し、「徳育、知育、體育」が全面的に発展を遂げた人材の育成のために寄與するよう要求した。 6月5日、國家體育運(yùn)動(dòng)委員會(huì)は陸上競技、體操、水泳、サッカー、バスケットボール、バレーボール、卓球、重量挙げ、スピードスケートなどの種目の少年?児童アマチュアトレーニング教學(xué)綱要とテキストを編集することを組織した。 9月8日、中國代表団はメキシコで開催された第十回ユニバシアードに參加。陳肖霞選手は女子10?跳び込みで一位となった。これが中國選手のユニバシアードで獲得した最初の金メダルである。 9月15から30日にかけて、中華人民共和國第4回全國競技大會(huì)が北京で開催された。同競技大會(huì)には34種目が設(shè)置され、5人の選手が5回5つの世界記録を更新し、2人の選手が3回3つの世界青年記録を更新し、3人が3回3つの世界記録タイとなり、36チームの203人の選手が376回102の全國記録を更新した。 9月15日、上海から出発し、50萬人余りの青少年たちが參加した「新しい長征」トーチリレーは16の省、直轄市、自治區(qū)にわたる3萬キロ以上にわたる道のりで、出発日から70余日後の第4回全國競技大會(huì)の開幕の際にメーンスタジアムに到著した。 10月5日、國家體育運(yùn)動(dòng)委員會(huì)、中國教育部は「高等學(xué)校のスポーツ活動(dòng)についての暫定規(guī)定(試行草案)」と「中等學(xué)校(高校を含む)、小學(xué)校のスポーツ活動(dòng)についての暫定規(guī)定(試行草案)」を共同で下達(dá)し、それを試行することを通達(dá)した。 10月25日、IOC執(zhí)行委員會(huì)會(huì)議が日本の名古屋で開催され、この會(huì)議で、IOCにおける中華人民共和國の合法的地位を回復(fù)させる決議が全會(huì)一致で可決された。同會(huì)議で、中華人民共和國オリンピック委員會(huì)は中國における全國的なオリンピック委員會(huì)であり、臺(tái)北に設(shè)置されているオリンピック委員會(huì)は中國オリンピック委員會(huì)の地方機(jī)関としてIOCに殘ることになったが、それまで使っていた歌と旗を使用してはならないことが確認(rèn)された。同決議はその後IOCのメンバーの信書による可決の形で批準(zhǔn)されることとなった。 10月25日、IOC執(zhí)行委員會(huì)會(huì)議が日本の名古屋で開催され、「IOCにおける中華人民共和國の合法的地位を回復(fù)させる」決議を作成した。 10月26日、IOCのメンバー全體は信書による可決の形で、「IOCにおける中華人民共和國の合法的地位を回復(fù)させる」決議を批準(zhǔn)し、その後、水泳、陸上競技などの國際スポーツ組織も相次いで中國の合法的な地位を回復(fù)した。 11月3日、第33回世界重量挙げ選手権で、中國代表チームは金メダル1、銀メダル1、銅メダル2を獲得した。そのうち、呉數(shù)徳選手は52キロ級で一位となり、この種目のスナッチと総合得點(diǎn)の世界ジュニア記録を更新した。陳偉強(qiáng)選手は56キロ級のジャークの世界記録を更新した。 11月9日、15歳の馬燕紅選手が第20回世界體操選手権の段違い平行棒の金メダルを獲得し、これは中國選手が世界體操選手権で獲得した最初の金メダルであった。 11月26日、IOCのマホメット?ムチャ―リ副主席はスイスのローザンヌで、IOCは全體委員の信書による可決によって、賛成62、反対17の結(jié)果で、IOC執(zhí)行委員會(huì)が10月に日本の名古屋で作成した中國代表権についての決議を批準(zhǔn)し、中華人民共和國オリンピック委員會(huì)は『中國オリンピック委員會(huì)』と改名し、中華人民共和國の國旗と國歌を中國オリンピック委員會(huì)の旗と歌とすることを決定した。 12月28日、CRI(中央人民ラジオ放送局)、中國中央テレビ局(CCTV)、『中國青年報(bào)』紙、『體育報(bào)』紙は1979年の「スポーツ選手のベストテン」を共同で評定し、選出した。陳肖霞、陳偉強(qiáng)、葛新愛、呉數(shù)徳、容志行、聶衛(wèi)平、欒菊傑、鄒振先、寧暁波、呉忻水らの選手たちが選出された。これ以降、毎年「スポーツ選手のベストテン」の評定、選出が行われることになった。 「チャイナネット」 2005年9月 |
Copyright ? China Internet Information Center. All Rights Reserved E-mail: webmaster@china.org.cn Tel: 86-10-68326688 |