2000余年前に、秦の始皇帝は中國を統(tǒng)一するため、現(xiàn)在の広西チワン族自治區(qū)の興安鎮(zhèn)一帯で、世界で最初の運河?「霊渠」の掘削に取り組ませた。長い歴史の中で、長江と珠江の水系を結(jié)びつける霊渠は、中國の中央部と秦嶺以南の地域を結(jié)ぶ交通の要路となった。近代の詩人?文學(xué)者?歴史學(xué)者の故郭沫若氏はかつて、「中國の南部に位置する霊渠は、北部に位置する萬里長城と同じように、世界の奇観と稱するべきである」と語ったことがある。
霊渠の分水の地に位置する興安鎮(zhèn)は、行き交う船がすべてここを経由することから、昔は富み栄えた町であった。霊渠の両岸には、宿屋、茶屋、料理店が軒を連ね、「水街」(水の流れに臨む大通り)と呼ばれるようになった。ただし、1937年に湘桂鉄道が開通してから、水上交通が衰退し、「水街」も廃れていた。近年、霊渠の文化を保護するため、地元の関連部門は「水街」を再開発し、その昔の姿を取り戻すことに力を入れている。秦?漢時代の建築文化、昔の橋の文化と彫塑文化、霊渠の歴史文化、地元の民族文化をすべてこの街で鑑賞できるようになった。
「チャイナネット」2006年1月
|