1980年、生まれたばかりの劉洪さんは呼吸がなく、醫(yī)師の人工呼吸でようやく命を救われた。2歳になっても座ったり、立ったりできなかったため、両親が北京の病院に連れて行ったところ、脳性まひと診斷された。成長の過程では、心ない人からの侮蔑の視線や言葉に傷つき、3度の自殺を図った。その後、家族や社會からの勵ましや思いやりを受け、死の縁から立ち上がった劉さんは「命ある人は誰でも、自らの運命に誓わなければならない。たとえ光を放つことができなくても、人生を捨てるわけにいかない」と心に誓ったという。
劉さんの人生は、そこから大きな転機を迎えた。今や小説をかき、詩集を出し、大學で學び、ウェブサイトを運営し、発明まで手がけるなど、重い障害を背負いながらも、奇跡的な活躍ぶりを見せている。
寫真:頭につけた専用の道具で、パソコンのキーボードを打つ劉洪さん
「人民網(wǎng)日本語版」2006年7月25日