■城隍會(huì)
昔、桐郷や鳥(niǎo)鎮(zhèn)一帯では「會(huì)に出る」という習(xí)慣がかなり盛んだった。1年を通じて、正月の「燈會(huì)」や3月の「廟會(huì)」、4月の「青苗會(huì)」、5月の「瘟元帥會(huì)」、7月の「城隍會(huì)」など、実に様々な名のついた「會(huì)」がある。なかでも一番の賑わいを見(jiàn)せたのが、「城隍會(huì)」だ。
■接五路
もともとは「五路行神」を迎えることを意味していたが、後に「五路財(cái)神」を迎える、に変わった。舊時(shí)、商人は春節(jié)の休み明け、一般に舊暦正月四日の夜に五路財(cái)神に接し、縁起を擔(dān)いで、五日に店を開(kāi)いていた。
■香市
明清時(shí)代、鳥(niǎo)鎮(zhèn)には寺院や廟が多く、香をたきに來(lái)る人で賑わった。それに合わせて色々な屋臺(tái)や芝居小屋が立ち、人びとを楽しませた。
■お茶を飲む
鳥(niǎo)鎮(zhèn)の人はお茶を飲んだり、茶館に入ったりするのが好きだ。最盛時(shí)の茶館の數(shù)は60數(shù)軒。主な客は鎮(zhèn)の周辺から來(lái)る商いをする農(nóng)民たち。茶館は情報(bào)を交流したり、事務(wù)を処理したりする重要な場(chǎng)所だった。
「チャイナネット」2006年8月
|