2006年12月12日は西安事変70周年にあたる。この事件は中國(guó)の現(xiàn)代史に大きな影響を與えた。ここ數(shù)年これに関する新たな資料が相次いで発表され、人々の西安事変に対する認(rèn)識(shí)をより深いものにしている。
華南師範(fàn)大學(xué)の左雙文教授は、ここ數(shù)年相次いで発表された西安事変に関する比較的重要な史料を次のように紹介する。
(1)「蔣中正先生西安事変日記」。政治大學(xué)の劉維開教授(元中國(guó)國(guó)民黨中央委員會(huì)黨史委員會(huì)総幹事)によって整理されたもので、蔣介石の孫嫁である方智怡が提供した西安事変期間の日記の複製本がもと。國(guó)民黨文伝會(huì)の黨史館が主催する雑誌「近代中國(guó)」に掲載されたものだ。日記は西安事変発生の前日1936年12月11日から南京に戻る26日までの16日間の出來(lái)事が書かれている。
(2)「孔祥煕所蔵西安事変期間未刊電報(bào)」。中國(guó)社會(huì)科學(xué)院近代史研究所の楊天石氏がコロンビア大學(xué)のバトラー図書館に所蔵されていたマイクロフィルムから選び出した89本の電報(bào)??紫闊洡鲜Y介石が監(jiān)禁された後、行政院副院長(zhǎng)に任命され、西安事変の非常な時(shí)期に中央と各方面の連絡(luò)を務(wù)めた重要人物である。
(3)「宋子文西安事変日記」。國(guó)民黨文伝會(huì)?黨史館の邵銘煌主任が整理したもので、宋氏の子孫が2004年3月に米國(guó)スタンフォード大學(xué)フーバー研究所に新たに寄贈(zèng)した宋子文の書類の未開封部分がもと。邵主任は學(xué)者にコピーと中國(guó)語(yǔ)翻訳を依頼し、刊行頒布した。日記は1936年12月20日から25日までの6日間。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2006年12月11日