大明寺
揚(yáng)州市の北西部の蜀岡中峰に位置し、南朝の劉宋の頃に建立された古剎である。唐の高僧の鑑真はかつてこの寺の住職を勤め、仏教の経典を教え伝え、境內(nèi)には九層からなる棲霊塔が建てられている。唐の著名な詩人李白、白居易(白楽天のこと)、劉禹錫もここに登って詩を作ったことがある。鑑真は日本へ渡って仏教の教えを伝え、中日文化交流の先駆者となった。今の大明寺境內(nèi)の鑑真記念堂は唐の建築スタイルのもとで、1963年鑑真逝去1200周年記念の際に定礎(chǔ)式がおこなわれ、1973年に完工した。本殿の仏座には鑑真の座像が祭られ、鑑真は目を閉じて落ち著いた姿をしている。前の庭には高さ10數(shù)メートルの貴重な花の木が植えられ、葉が生い茂り、春になると、白い花が咲く。
平山堂は大明寺本殿の西側(cè)にある「仙人舊館」の中にあり、北宋の頃の文學(xué)者である歐陽修が揚(yáng)州で太守の任にあったため建てられた。中にはいまでも「風(fēng)流宛在」、「花座載月」などの額がかけられている。
大明寺は鑑真が日本へ渡る前に住職を勤めたお寺で、鑑真が揚(yáng)州から出発して度重なる失敗を乗り越えて日本へ渡ったのである。今の大明寺は後世の人びとが建てたもので、特にそばにある棲霊塔は20世紀(jì)90年代に建てられたもので、セメントで築造され、もと中國仏教協(xié)會會長の趙樸初(故人)の題字がある。棲霊塔は以前は隋の文帝の頃、全國に仏骨を祭る塔を築造するよう命じた時に建てられたもので、その後は火災(zāi)で全焼した。
大明寺に線香を立てに來る人や、観光客が非常に多い。境內(nèi)には陳列室があり、鑑真が何度も日本への渡航を試みた経緯、渡航ルートについて説明し、鑑真が仏教文化を伝播するために確かに並々ならぬ代償を払ったことを示すものである。そのほか、鑑真がいた日本の奈良のお寺である唐招提寺から中日國交回復(fù)後に贈呈された贈り物も陳列されている。
交通 バス停で21號バスに乗り、西のバス停で22號バスに乗る。
入場券:18元
「チャイナネット」2003年1月2日