澳門(mén)地區(qū)は香港から40カイリ離れた広東省の珠江河口の西岸に位置し、澳門(mén)半島、とう仔島、路環(huán)島からなり、総面積は24平方キロである。澳門(mén)は昔から中國(guó)の領(lǐng)土であり、1553年にポルトガル人が広東の地方官吏を買収し、澳門(mén)の埠頭での船舶停泊と貿(mào)易の許可を手にした。1557年にポルトガル人は澳門(mén)で居住し始め、1840年のアヘン戦爭(zhēng)以後、清王朝の敗戦の機(jī)に乗じて、澳門(mén)南側(cè)のとう仔島と路環(huán)島を次々と占領(lǐng)した。
澳門(mén)問(wèn)題という過(guò)去から殘された問(wèn)題について、中華人民共和國(guó)政府は適切な時(shí)に話し合いを通じて平和的に解決することを一貫して主張してきた。1986年6月から1987年3月にかけて、中國(guó)?ポルトガル両國(guó)政府代表団は4ラウンドの會(huì)談を経て合意に達(dá)し、1987年4月13日、『中華人民共和國(guó)政府とポルトガル政府の澳門(mén)問(wèn)題に関する共同聲明』が北京で正式に調(diào)印された。
『共同聲明』に基づき、1999年12月20日、両國(guó)政府は期限どおり澳門(mén)政権の引継ぎ式を行い、中國(guó)は澳門(mén)に対する主権行使を回復(fù)した。これと同時(shí)に、澳門(mén)特別行政區(qū)の正式の発足が宣言された。1993年3月の第8期全國(guó)人民代表大會(huì)第一回會(huì)議で採(cǎi)択された『澳門(mén)特別行政區(qū)基本法』も実施されることになった。この基本法の規(guī)定によって、中國(guó)政府は澳門(mén)で「一國(guó)二制度」、「澳門(mén)人による澳門(mén)の管理」、「 高度な自治」の基本方針を?qū)g行することになった。澳門(mén)特別行政區(qū)の享有する高度な自治権およびその政治體制、経済體制、文化教育體制などは、香港特別行政區(qū)と同じである。
澳門(mén)特別行政區(qū)が発足して以來(lái)、初代行政長(zhǎng)官の何厚カ氏と特別行政區(qū)政府は職責(zé)を厳格にまっとうし、その経済は順調(diào)に発展し、社會(huì)が安定し、治安狀況は以前よりかなりよくなっている。