2003年9月に北京外國(guó)語(yǔ)大學(xué)に入學(xué)した張麗アさんは、耳に心地よい日本語(yǔ)の発音に惹かれ、日本語(yǔ)自體に興味を持つようになった。張麗アさん同様、日本語(yǔ)が好きだと言う學(xué)生は、中國(guó)の高等學(xué)府に數(shù)多くいる。
中國(guó)では、1980年代に日本語(yǔ)學(xué)習(xí)ブームが始まった。日本語(yǔ)の専門(mén)學(xué)科を開(kāi)設(shè)している大學(xué)は1980年代の10數(shù)校から2003年には472校に、日本語(yǔ)を?qū)煿イ工雽W(xué)生は700人足らずから20萬(wàn)人余りに増えている。
北京外國(guó)語(yǔ)大學(xué)で日本語(yǔ)會(huì)話(huà)の授業(yè)を受け持つ森下早苗さんは、授業(yè)を始めた頃、學(xué)生とのコミュニケーションがなかなか取れず、英語(yǔ)や時(shí)には絵を用いて學(xué)生との意思の疎通を図った。また、放課後に學(xué)生を招いてゲームをしたり、日本映畫(huà)や流行歌を紹介したり、様々な工夫をしてきた。學(xué)生たちは彼女を尊敬すると同時(shí)に、姉のように慕っている。
最近の中國(guó)経済の急成長(zhǎng)を背景に、日本でも「中國(guó)語(yǔ)學(xué)習(xí)ブーム」が再燃している。多くの人が中國(guó)語(yǔ)を?qū)Wぶ手段として中國(guó)語(yǔ)學(xué)校を選択し、毎週何回か夜のクラスに參加している。ある中國(guó)語(yǔ)學(xué)校の責(zé)任者は、自分の學(xué)校は毎回募集定員を上回る応募があると言う。中には中國(guó)人留學(xué)生を探して個(gè)人授業(yè)をしてもらい、會(huì)話(huà)やヒアリングのレベルアップに努めている人もいるそうだ。統(tǒng)計(jì)では、2004年に日本の五大中國(guó)語(yǔ)學(xué)校で學(xué)んだ生徒の數(shù)は4年前の6倍に増え、5000人を突破した。中國(guó)語(yǔ)學(xué)校も各地で新たに開(kāi)設(shè)されており、東京周辺の都市には40カ所以上の中國(guó)語(yǔ)學(xué)校あるいは教室がある?,F(xiàn)在、中國(guó)語(yǔ)を語(yǔ)學(xué)科目として取り入れている大學(xué)は500校余りあり、中國(guó)語(yǔ)の専門(mén)學(xué)科を持つ大學(xué)は85校に上る。毎年、數(shù)十萬(wàn)人の大學(xué)生がさまざまな方式で中國(guó)語(yǔ)を?qū)W習(xí)している。日本の大學(xué)で中國(guó)語(yǔ)を教えているある中國(guó)人教師は、「未來(lái)は若者のものです。中國(guó)語(yǔ)の學(xué)習(xí)を通して、日本の若者に中國(guó)を知ってもらいたい。私も授業(yè)を通して、中日友好の架け橋を築きたい」と、語(yǔ)る。
言語(yǔ)は両國(guó)文化の土臺(tái)であり、今日では中日両國(guó)の経済発展、文化交流、友好協(xié)力の架け橋となっている。 (注:張麗アさんの「ア」は女へんに「亜」という漢字)
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