1984年の9月から10月にかけて、3000人の日本の若者が胡耀邦総書記の招きで中國(guó)を訪れた。この空前の規(guī)模の青年交歓活動(dòng)は、中日往來(lái)史に多くの美談を殘している。
「300人の聞き間違えだと思いました。それが3000人です。本當(dāng)に驚きました。これは広大な中國(guó)の心意気に恥じない」。當(dāng)時(shí)の中曽根康弘日本國(guó)総理大臣は、この活動(dòng)を伝えられた時(shí)の驚きをこのように語(yǔ)った。
3000人の參加者は、日本の47都道府県の政治団體、自治體、商工會(huì)、女性団體など、各界から選ばれた若者である。中曽根康弘日本國(guó)総理大臣はその壯行會(huì)で、日本の若者は倍の力で中國(guó)青年の手を握り、倍の聲量で中國(guó)青年と高らかに歌って來(lái)てほしいと、彼らを激勵(lì)した。
1984年9月24日、第一陣が上海に到著し、1200人の中國(guó)青年の代表が空港で一行を出迎えた。歓迎する中國(guó)側(cè)の青年を率いた中華全國(guó)青年聯(lián)合會(huì)の主席は、現(xiàn)在の中國(guó)の國(guó)家主席、胡錦濤氏である。
3000人の日本青年は、グループに別れて中國(guó)各地を訪問(wèn)した。彼らは農(nóng)村に、工場(chǎng)に、町に入り、中國(guó)人民と交流を深めた。この活動(dòng)の參加者であった日中友好協(xié)會(huì)の酒井誠(chéng)理事は、「私たちはどこに行っても、中國(guó)青年の溫かいもてなしを受け、家に帰ったような溫もりを感じることができました」と、當(dāng)時(shí)の印象を語(yǔ)っている。
各地での訪問(wèn)活動(dòng)を終えると、3000人の若者は北京に集まり、中國(guó)の指導(dǎo)者の接見(jiàn)を受け、貴賓として建國(guó)35周年の國(guó)慶式典に招待された。
この大規(guī)模な青年交歓活動(dòng)は、日本で大きな話題となった。中國(guó)から帰國(guó)した青年の一部は日本各地で報(bào)告會(huì)を開(kāi)き、中國(guó)での體験を語(yǔ)っている。翌年には、日本側(cè)の民間有志により、500人の中國(guó)青年が「中日友情の船」で日本に招待された。
「日本の民衆(zhòng)の熱烈な歓迎が今も印象に殘っています。その中でも最も熱烈に私たちを迎えてくれたのは、前年の訪中活動(dòng)に參加した日本青年でした」と訪日団のメンバーの一人であった倪健さんは當(dāng)時(shí)を振り返った。それ以降も、倪健さんは數(shù)度日本を訪れているが、その度にあの交歓活動(dòng)の參加者として中國(guó)を訪れた人々に出會(huì)うと言う。青年時(shí)代に外國(guó)を訪れ、その國(guó)の人々の溫かさに直に觸れた者は、その感激を生涯忘れない。それが招かれてのことならば、尚更であろう。倪健さんが日本で出會(huì)った人々も、あの訪問(wèn)活動(dòng)を話題にするだけで、隔たった時(shí)間と距離を忘れ、心を開(kāi)いてくれるのだそうだ。
1984年に日本青年3000人が訪中して以來(lái)、中日の青年交流は両國(guó)の伝統(tǒng)となり、今日に至っても続いている。
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