2004年8月、東京から京都に向かう新幹線の車內(nèi)には、中國(guó)から來(lái)た子供たちの興奮した歓聲が溢れていた。彼らは「中國(guó)少年友好交流団」の一行である。最年長(zhǎng)のメンバーは16歳、最年少は11歳である。
「中國(guó)少年友好交流団」の訪日は、今回で7回目になる。この活動(dòng)は日本京セラ社の稲盛和夫名譽(yù)會(huì)長(zhǎng)の発案と出資によるもので、1997年から毎年中國(guó)の子供たちが日本に招待されてきた。小さな子供のうちから、両國(guó)の友好的な感情を育てなければならないと、稲盛會(huì)長(zhǎng)は考えている。子供たちを迎えた稲盛名譽(yù)會(huì)長(zhǎng)は、「今回の訪問(wèn)を通じて、一般の日本人の生活と日本の文化、歴史を知ってもらいたい。皆さんには、將來(lái)日中両國(guó)の友情に寄與してくれることを期待しています」と挨拶した。
京都の醍醐西小學(xué)校を訪れた子供たちは、言葉の壁を乗り越え、手振りや筆談で日本の子供たちと交流した。中國(guó)の子供が「長(zhǎng)城」、「大熊貓」、「女子十二楽坊」などの単語(yǔ)を漢字で書くと、日本の子供たちも歓聲を上げてこれに応えていた。
緑豊かな鹿児島では、中國(guó)の子供たちはそれぞれ日本のホスト?ファミリーの家に滯在した。日本の各ホスト?ファミリーは簡(jiǎn)単な中國(guó)語(yǔ)を?qū)Wんで中國(guó)の子供たちを迎え、子供たちは家族と一緒に畳の上に座って手振りを交えて語(yǔ)り合い、くつろいだ時(shí)間を過(guò)ごした。中國(guó)の少女、何嘉恵さんは、「日本の家族と一緒に學(xué)校に行ってバスケットの試合を見(jiàn)たり、野外でバーベキューを楽しんだり、花火をしたり、船に乗って海から桜島遊覧をしたりしました。日本のお母さんからは綺麗な著物をプレゼントされましたし、日本のお姉さんと弟はピアノや日本の歌を教えてくれました。本當(dāng)に家族と一緒にいるように感じました」と、感想を述べている?!钢袊?guó)の子供と暮らしたこの數(shù)日は、生涯忘れられないでしょう。言葉が通じなくても、絵や手振り、簡(jiǎn)単な英語(yǔ)でお互いに相手が何を言いたいのかを理解しました。心が通じているからでしょう」と、日本のあるホスト?ファミリーは語(yǔ)る。
帰國(guó)の日、子供たちは一家総出で見(jiàn)送りに來(lái)たホスト?ファミリーに向かい、「日本のお父さん、お母さん、是非中國(guó)においでください。待っています!」と叫んでいた。
|